あらかじめ失われた世界を再起動させるために【佐藤健志】
佐藤健志の「令和の真相」36
◆第五部 パンデミックと国の行く末
さて、いよいよコロナです。
このセクションを構成する評論は4つ。
(1)予言された疫病の記録
Ⅰ コロナ対策の王道は何か
Ⅱ 疫病対策と政府の役割
Ⅲ 理性の限界を直視せよ
(2)パンデミックは愛の行為
(3)感染症とボディ・ポリティック
(4)「ウイルス保守主義」宣言(1996)
三部構成の「予言された疫病の記録」は、本書収録の評論で最も長いもの。
「 I コロナ対策の王道は何か」では、2020年に各国で発生した感染被害と経済被害のデータをもとに、どのようなコロナ対策が「王道」と呼ぶに値するかを論じました。
しかるに看過しえないのは、今回のようなパンデミックの発生が、なんと30年以上も前から、専門家の間で予見されていたこと。
文明の発達、とりわけグローバル化の進展によって、人類は新しい感染症が流行する条件をみずから整えてしまったのです。
すなわちコロナ禍も、「ナショナリズムかグローバリズムか」という問題と無縁ではない。
この認識に基づき、地球規模でパンデミックを抑え込むための方法論を考察するのが「 Ⅱ 疫病対策と政府の役割」。
とはいえ、われわれ自身の文明がパンデミックの発生を後押ししているとすれば、たんに「コロナに打ち勝て」と叫ぶだけでは解決になりません。
コロナ禍の根底には「 Ⅲ 理性の限界を直視せよ」という問題が厳然として存在するのです。
これこそ、あるべき対策の核心。
理性の力を過信したあげく、王道ならぬ横着を決め込みたがるような発想は、自滅的な結果にいたるのみと申し上げておきましょう。
「パンデミックは愛の行為」では、「コロナとの共生」という発想について、それが真に意味するところを分析。
感染症の流行のどこが「愛の行為」なんだ? と思われる方もいるでしょうが、お読みになれば分かります。
ウイルスはあなたを愛しているのかも知れないのです。
他方、政治哲学には、社会、ないし国家全体をひとつの身体のように見立てる「ボディ・ポリティック」という概念がある。
パンデミック対策を考えるうえで、この概念も非常に役立ちます。
よって「感染症とボディ・ポリティック」なのですが、ここから得られる結論も、「予言された疫病の記録」で論じたコロナ対策の王道ときれいに重なりました。
そしてフィナーレを飾るのが「『ウイルス保守主義』宣言(1996)」。
タイトルに「1996」とあることが示すとおり、これは四半世紀以上前に刊行された私の評論集『幻滅の時代の夜明け』に収録されたものです。
新型コロナウイルス感染症など、むろんまだ存在していません。
にもかかわらず、「予言された疫病の記録」で提起した「理性の限界を直視せよ」という結論は、「『ウイルス保守主義』宣言(1996)」において、すでに提示されていました。
お分かりですね。
四半世紀以上前から、問題は明らかだったのです。
われわれが直面しようとしなかっただけ。
「あらかじめ失われた」のは、日本のみならず、世界全体なのかも知れません。
時代の全貌、ここにあり。
本書の帯のコピーですが、これが決して誇張ではないことは、みなさんにもご納得いただけたでしょう。
巻末には30ページを超える脚注もついています。
その数、390項目。
本文に盛り込めなかった論点も数多く取り上げましたので、あわせてご覧下さい。
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